「少年スギモトはいかにしてHiroshi Sugimotoとなったか」

10/04/11 | カテゴリー:レクチャー/講義 | | 1 コメント

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特別講演会「少年スギモトはいかにしてHiroshi Sugimotoとなったか」

出演:杉本博司 聞き手:鈴木芳雄

会場:東京ウィメンズプラザホール 主催:青山ブックセンター

無事終了しました。イベントのサマライズをアップします。

スライドは半分くらいに割愛し、多少前後を入れ替えています。

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日比谷帝国劇場を背景に。9歳の写真。「時間の終わり」展カタログより。

右上は背景に写ってるボンネットバスを拡大したもの。


(画像はクリックで拡大可能。作品写真はすべて

© Hiroshi Sugimoto / Courtesy Gallery Koyanagi)


高松宮殿下記念世界文化賞受賞を昨年受賞の美術家、杉本博司さんの

創作のルーツはその少年時代にすでに見られ るというのがテーマです。


会場では3週間ほど前に撮影された、ニューヨークに作成中の茶室の工事の模様や

最新作品の製作風景が流されました。

この作品は今年のシドニービエンナーレで発表されるものもあります。


さて、スライドです。

杉本さんの創作にとって、少年時代からの興味とか活動がキーになっていることを

知ったのはある日、杉本さんのおうちで彼の手製の料理をいただいていたときのこと。

僕が「杉本さんって、8×10(エイトバイテン:作品制作用の大判カメラ)以外の

たとえば、35mmカメラとか使うんですか?(使えるんですか?)と聞きました。

すると、「子どもの頃は使ってたよ」と言って、アルバムを何冊か見せてくれました。

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これがほんとにちゃんと整理・編集されていて、ネガもきちんと残っている。

しかも、35mmフルサイズ、ハーフ版、6×6判などいろいろ使ってました。

やっぱり世界的な写真家になる人は少年時代からこうやってたんだと感心。

家族旅行の写真、日常のスナップ、そして鉄道を丹念に撮っていました。


最近はまた違うかもしれませんが、写真少年になるきっかけ、

昔はたいていは鉄道か天文写真からということが多い。

たとえば、ウォルフガング・ティルマンス氏などは天体写真ですね。


で、鉄道写真のアルバムで杉本さんが写ってるのがありました。

家族のどなたかが撮影したのでしょう。ちょっとブレてますが。

この電気機関車に注目。ED42。アプト式の機関車です。

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昔、碓氷峠(横川〜軽井沢間)を越えるときに使った機関車で1963年まで使われました。

レール側にあるラックギアと機関車側のギアを噛み合わせて、急坂を登っていきます。

このしくみとスイッチバックによって、峠を越えるのですね。スピードは出ませんが。

アプト式の機構の部分はこうなってます。(ウィキペディアより)

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普通の機関車を横川駅でED42の付け替えます。

その時間を利用して、釜飯を売ったのが、峠の釜飯です。


…と、こんなふうに、やっぱり杉本さんはこれだけでもただものではない、と

見抜いた僕としては、少年時代についてあれこれ聞いていって、

そこにいろいろと彼の創作の秘密を見つけ、それをまとめたのが今回の講演です。

なお、少年時代の鉄道写真は2004年のブルータス写真特集「Boys'Life」に所収。


鉄道始め、メカものに興味のある杉本少年は雑誌『子供の科学』を愛読します。

戦前からある雑誌で、現在も続いています。誠文堂新光社発行。

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今回のトークのために、杉本少年が読んでいたころの『子供の科学』を集めました。

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特に右下のホバークラフトの表紙には見覚えがあるそうです。

そのホバークラフトの青写真風の設計図が折り込み付録でついています。

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『子供の科学』は理科観察、天体・宇宙に関する情報、電子工作、鉄道模型など、

科学少年たちがわくわくする話題で満たされています。

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鉄道のジオラマ用の工作ガイド。

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これは別の号ですが「日本の特急拝見」。新幹線出現前夜の特急たちです。

特急〈あさかぜ〉。左が『子供の科学』の記事。

右はその2年後くらいに杉本少年が撮った写真です。

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当時の主だった特急列車を杉本少年はほとんど撮影していました。

東京駅で撮影したそうです。

特急〈はやぶさ〉もヘッドマークと展望車側両方。線路に下りて撮影しています。

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当時の特急用主力機関車はEF58でした。

平凡社『絵本百科』(昭和38年発行)の「てつどう」の項目には

EF58の解剖イラストが載っています。

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特急〈こだま〉の食堂車の様子も。「ドアは歩いていくとひとりでにあきます」。

特急〈こだま〉といっても、東海道新幹線ではありません。

在来線特急だったときの〈こだま〉です。

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左が『子供の科学』の記事、右が杉本少年の撮影した特急〈こだま〉。


『子供の科学』のほか、『模型とラジオ』『鉄道模型趣味』も読んでいました。

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見つけました。アプト式機関車ED42の模型の作り方のページです。

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そしてこういうジオラマ(レイアウトと呼ばれます)で走らせるのかな。

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鉄道模型のジオラマに慣れ親しんでいた杉本氏にとって自然史博物館などのジオラマは

いろいろと深く観察することができた対象だったのでしょう。

その結果、作品「ジオラマ」シリーズを生み出します。

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博物館の展示物をただ撮影しただけだろうと思われるかもしれませんが、

人間の目とカメラの目の違いを利用すること、長時間露光時の照明の処理など

考えるだけでも実は課題が多い。写真と模型を知り尽くした彼ならではの

作品であり、完成度の高まりなのです。それと動物への愛も。

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このジオラマシリーズがMoMA(ニューヨーク近代美術館)に買い上げられたのが

作家としての幸運なスタートでした。プライスは1点500ドルだったけれど。


そして、今回、僕も始めて知ったのですが、ニューヨークの自然史博物館で撮影された

これらの写真、なんと無許可で勝手に撮っていたということ。

手前には厚いガラスがあり、自分や反対側のジオラマの写り込みを防ぐため、

暗幕で覆って、小さな穴から大判カメラ(もちろん三脚固定)のレンズだけに覗かせる

大がかりな撮影なのに。でも、大がかりだからこそ、博物館の業務に見えたのかも。


MoMA に作品が収蔵されてからは、奨学金も取りやすくなり、

撮影許可も下りやすくなったので、ゲリラ的なことはしなくなったようです。


さて、少年時代に話を戻すと、映画『ローマの休日』のエピソード。

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『ローマの休日』日本初公開は1954年だが、中学生の杉本氏が見たのは、

何度目かのリバイバル上映でしょう。誰もが知ってる名作映画。

生身のアイドルの追っかけカメラ小僧は現在は多いのかもしれないが、

映画の中のスターに熱中するカメラ小僧、杉本少年でありました。

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コンタクトプリント(ベタ焼)がきちんと整理されていました。

著作権の関係で杉本氏としては長らく秘蔵作品だったのですが、2007年に

最高裁判断でこの作品の著作権切れが確定したので公開できます。

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データも保存されていて、カメラはミノルタSR7、ロッコール57mm F1.4、

シャッタースピード1/30、絞り開放、フィルムはネオパンSSS(800に増感)、

現像液はパンドール。フィルム2ロール撮っている。


杉本ファンはすでにおわかりでしょう。

「劇場」シリーズのルーツがここにあります。

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映画1本をひとつの画面に収めることは可能か?

映画1本分の光の照り返しで歴史的に貴重な映画館建築を描写する。


これも最初は無許可で映画館にカメラを持ち込んでテストをしたらしい。

正面の席が取れないので斜めから撮ったものもあるそうです。

かかる映画によって、光の量が違う。青春映画だと明るいのでオーバー気味に、

オカルト映画だと暗いシーンが多いのでアンダー気味になる。


さて、カメラの話。杉本少年はいくつかのカメラを使っています。

オリンパスペンEEシリーズも愛機。ハーフ版で自動露出。

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手鏡を左手に持ち、撮影する自分も画面に入れ込む。


家族で、夏は伊豆の海、冬は赤倉温泉にスキーに行くことが多かった。

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海に悠久の時間の流れを託すというのは「海景」の考え方、テーマです。

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「古代人が見たのと同じ風景を現代のわれわれも見ることが可能か」

というテーマが浮かび上がったと言われるけれど、

これは後付けの説明でもあったと告白。

「水」を撮りたかったというのもある、と。

日本への一時帰国時に華厳の滝を撮影に行ったことがきっかけになったらしい。

名作シリーズ「海景」はそのようにして生まれました。

またフィルム現像が難しい(現像ムラが目立ちやすい)「海景」シリーズなので

それを克服するために、独自の現像装置を発明したというエピソードもある。

医療機器に使われる技術を応用。工作の腕がそこでも発揮されたのでしょう。


海にちなんで写真をもう一枚。

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カメラFUJIPETを提げる杉本さんの弟さん。たぶん伊豆の海で。


会社経営者としても順調で、同時に落語家の顔も持っていたお父様。

落語家としての名前も持ち、高座に上がり、タニマチでもありました。

新しものの父上が習いごとの練習用としてか、テープレコーダーを購入。

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杉本少年はちょうど死というものを考えるようになったころだったので、

その衝撃は大きかったようです。

当時のテープレコーダーはこんな感じ(杉本家のとはやや異なる)。

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ちょっと余談ではあるが(少年時代ではないので)、

ソニーといえば、このマイクロテレビにもエピソードがあります。

人類初月面着陸の1969年7月20日(中継は日本時間20日〜21日)、

大学生だった杉本氏は友人と一緒に、その友人の父上が買った

四国沖にある無人島の実見に行っていました。

その日は月面着陸の中継があるのでこのテレビを持って。

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テレビの電波はうまく届かないし、潮はどんどん満ちてきて、そのたびにテントを

移動させたり、ヤブ蚊に襲われたり、なんとも災難な一夜だったらしい。

その島は香川県丸亀市の沖合にあります。

それから40年あまり。

杉本氏は今年の11月から1年間、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館でロングラン展示を予定。

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アポロ11号月面着陸は20世紀の大きなニュースの一つだが、『少年マガジン』では

それをこんなギャグっぽい表紙に仕立てています。

宇宙人が『少年マガジン』読んでいて、月に忘れていったという設定。


このあと、番外編として、ロサンジェルス時代の杉本さん(20代前半〜中盤)の

写真なども公開しました。杉本さんの同級生だったお友だちの方から

僕がお借りしたもので、杉本さんも初めて見る写真があったそうです。

チャンスがあったら、「年スギモト&アーリーワークス」やりましょう。

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1 コメント {コメントする}
  • 仙台通信

    昨日はトークセッション有り難うございました。
    どんなものでもメイキングやプロセスに興味があるので、杉本さんのルーツが少年スギモトのどのあたりに垣間見られるのか、という構成はとても面白く拝聴しました。
    また次の機会を期待しています!

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