パリ日本文化会館で「笑いの日本美術史 縄文から19世紀まで」展が開催されている。
12月15日(土)まで。
中央:埴輪 盾持人(埼玉県本庄市/前の山古墳出土)古墳時代(6世紀)
左:人面土器(茨城県/女方遺跡出土)弥生時代(紀元前5世紀〜3世紀)
右:埴輪 笑う埴輪(埼玉県本庄市児玉町/生野山出土)古墳時代後期(5世紀末〜6世紀末)
手前左:分銅形土製品(山口県田布施町/明地遺跡出土)弥生時代 中期後半(1世紀)
手前右:土面(大阪府/仏並遺跡出土)縄文時代後期(紀元前2000年〜紀元前1000年)
2007年に東京の森美術館で開催された「日本美術が笑う」展を再構築したもので
土偶や埴輪、絵巻物、浮世絵、禅画、仏像など100点で紹介する(展示替えあり)。
以下の4つのセクションに分けている。
〈笑いのアーケオロジー〉縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪。
〈笑いのシーン〉中世から近世そして鎖国時代にかけてのおとぎ草子や浮世絵。
〈いきものへの視線〉動物を擬人化し、その滑稽な姿にユーモアと世情への批判を。
〈神仏が笑う〉禅画、仏画などの信仰の中の。
日本美術はとりわけ海外では、「わび・さび」で紹介されることが多いが
愉快で愛らしい、笑いの美術が紹介されることは大きな意味がある。
国内でも公開される機会のない、こんな屏風も見ることができた。
「キョーサイのヒャッキヤコー」だ!
河鍋暁斎《百鬼夜行図屏風》明治4年(1871)以降 六曲一双/紙本彩色
各146.8×310.0cm 福富太郎コレクション資料室
この絵巻に目が釘付けになった。
《築嶋物語》室町時代(16世紀)二巻/紙本着色
上巻36.0×774.0cm/下巻36.0×710.0cm 日本民藝館
図録の解説の一部抜粋。
「『築嶋物語』は絵と詞書きが交互に描かれた、上下巻合わせて14メートルにも及ぶ
絵巻物。愛らしい画風に相反して、そこに描かれるのは、自己犠牲を題材とした
悲しい物語である。平清盛が新都の沖に築嶋(人工島)を築く計画を立て、
山から岩を運ぶが、何度沈めても波にさらわれ工事がはかどらない。
そこで30人の人柱を立て、造成を妨害する神に捧げることとなる。関所を設け、
人柱となる人を捕らえるが、侍童松王は自ら進んで30人の身代わりになったという。
民藝運動の提唱者である柳宗悦は、この絵巻について以下のように書き記している。
『見ていて厭きない。見る毎に何かを貰ふ。見る者に終わりなく夢を贈る。
此の絵巻は形で描くよりも更に心で描く。』(『工藝』第63号、昭和11年より抜粋)」
白隠のちょっとおもしろい絵。
江戸時代には将軍が交代する度に、数百人規模の朝鮮通信使が訪れた。そのとき、
曲芸団も随行し、日本とは違った服装や持ち物を持つ行列は大変な人気だったらしい。
白隠慧鶴《朝鮮曲馬団》江戸時代(18世紀)一幅/紙本着色 47×64.8cm
岩井江雲《朱達磨図》江戸時代(18世紀)一幅/絹本着色 49.8×97.1cm
左:伊藤若冲《伏見人形図》江戸時代(18世紀)一幅/紙本着色 104.0×27.8cm
右:南天棒《雪達磨図》1914年 一幅/紙本墨画 112.4×32.8cm
本展キュレーションをつとめる広瀬麻美氏(森美術館学芸部シニアコンサルタント)
本展アドヴァイザーは山下裕二氏(明治学院大学教授)
木喰による仏像セクションで。
《埴輪 盾持人》(前の山古墳出土)と《埴輪 笑う埴輪》(生野山出土)を貸し出した
埼玉県本庄市から、吉田信解(しんげ)市長(左から二人目)や市議会議長、
教育委員会教育長、市議会議員らがかけつけた。
この展覧会を借りて、積極的に埴輪のゆるキャラ〈はにぽん〉を売り出し中だ。
日本文化会館はエッフェル塔の近くにあり、レセプションが終わって外に出るとこんな感じ。